Lesson3-1 カカオとの出会い

人とカカオとの出会いは紀元前のオルメカ文明

カカオの起源については様々な説がありますが、その1つとしてカカオは中米アメリカ(メソアメリカ)を起源とし、人との関わりは紀元前13~11世紀ごろに栄えたオルメカ文明のころから始まったと言われています。
オルメカ文明の遺跡からは炭化したカカオ豆が出土しており、「カカオ」という言葉も、オルメカ文明やその後のイサパ文明を興したミケ・ソヘ語族といわれる人々が「カカウ」と呼んだことからきているというのが定説です。

やがて紀元4~9世紀には、ユカタン半島に壮大な神殿や独特の遺物でよく知られるマヤ文明が栄えました。マヤの遺跡からは、「カカウ」という発音の絵文字が記された土器も発見されており、カカオの残りかすのようなものも合わせて見つかっています。

life_in_a_pixel/Shutterstock.com

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さらに12世紀頃に興ったアステカ帝国では、首都のテノチティトラン(現在のメキシコシティ)を中心にカカオの取引や貢納が行われていました。

貨幣としても用いられたカカオ

マヤやアステカでは、カカオが貨幣としても使われていたという記録も残っています。「貨幣の偽造」というのは、古今東西、いつでもどこでも行われていますが、なんと「偽造カカオ」まであったという記録もあり、カカオがいかに貴重なものであったかがよくわかります。

Prachaya Roekdeethaweesab/Shutterstock.com

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古代文明におけるカカオの食し方とは?

このように貢納品や貨幣として扱われていたカカオは、王や社会の上層部の人たちだけが楽しむことのできる嗜好品でした。マヤでもアステカでも、「飲み物」として饗されていたことが様々な記録に記されています。

つまりこの頃のカカオは「ココア」に近いものだったのでしょう。しかし、その「ココア」は私たちが知っている現在のようなものとは全く異なっていました。

当時のココアの作り方を再現してみましょう。まず、発酵させたカカオ豆を炒ります。

それを温かいうちにメターテという石皿の上で、麺棒のものを使ってすり潰します。するとカカオ豆がどろどろの状態、つまりカカオマスの状態になります。

Chad Zuber/Shutterstock.com

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しかしこのままでは苦く、カカオバターが含まれたままですから油脂も多くて非常に飲みにくいため、香辛料などが加えられました。とうもろこしの粉や唐辛子、アチョテという食紅のようなものが添加されたとされています。

それらのものを加えたカカオマスを、水やお湯で溶いて激しく撹拌し、泡立てたものを飲みます。

冒頭でも述べた「豚の飲み物……」とまでは言いませんが、あまりおいしそうなものではないことが容易にイメージできるでしょう。砂糖なども全く入っていないため、味は想像しがたいものです。

ココア=薬としての利用

このようにとても飲みにくく苦いものだった当時のココアですが、これはもちろん、現代の私たちのようにおやつとして食されていたわけではありません。

カカオに含まれる薬効については現在の科学でも次第に解明されつつありますが、そうした薬効についてはマヤやアステカの人々も認識していたとみられ、当時こうしたココアらしき飲み物は「薬」として用いられていたと伝えられています。

この飲み物がもう少し飲みやすい「嗜好品」になるには、砂糖との出会いを待たなくてはなりませんでした。

■Lesson3-1 まとめ■

  • カカオと人との関わりは紀元前11世紀ごろに栄えたオルメカ文明の頃から始まったとされている。
  • 紀元4~9世紀ごろ栄えたマヤ文明では、マヤの遺跡から「カカウ」という発音の絵文字が記された土器も発見されている。
  • マヤやアステカでは、カカオが貨幣としても使用された記録も残っている。
  • 古代文明では、カカオは王や社会の上層部の人たちだけが楽める嗜好品であり「飲み物」として食されていた。しかし現代のカカオ飲料のココアとは異なり、「豚の飲み物」のようだと記している記録もある。
  • カカオの薬効は古代から注目されており、「ココア」も薬として用いられていた。