Lesson3-2 アステカから南ヨーロッパの王宮へ

スペイン人とカカオとの出会い

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1521年、アステカ帝国はスペインによって征服されますが、この過程でスペイン人がカカオに出会いました。

征服者コルテスに従軍したベルナル・デル・カスティリョは、カカオについて

「このカカオというのはこの国の人々の飲み物としては最高のものである」
「この飲み物は女と交わるために飲む」

などと述べ、王や貴族の飲み物であったことを記録しています。
やがてスペインの支配のもと、カカオの大量生産が本格的に始まります。

同じ頃にカリブ海沿岸の地域では、奴隷を使ったサトウキビのプランテーションが始まりました。この砂糖を「カカウ」に入れ、さらにバニラなどのスパイスを加えることでおいしく飲めるようになると、カカオはスペイン・ポルトガル・イタリア・フランスといったカトリック諸国の宮廷へ一気に広まっていきます。

 

甘くておいしい「ココア」の誕生

16世紀後半になると、スペイン人はこうしたココアのような南米由来のカカオ飲料を「cacahuatl」「chocolatl」と記すようになりました。

この語源については諸説ありますが、有力なものとしてマヤ語の「チャカウ・ハ (chacau haa 熱い水)」に由来するという説があります。この言葉に、アステカの人々が使っていたナワトル語の「アトル(水)」がついて、「cacahuatl」「chocolatl」になったといわれます。

マヤやアステカではカカオ飲料を水に溶いて飲んでいましたが、これを砂糖で甘くし、お湯で溶いて飲むことを広めたのはスペイン人でした。そうした飲み方が広まった時期に、この「cacahuatl」「chocolatl」という語が文献に登場するようになるため、これがチョコレートの語源として有力とされているのです。
(以下、ここからはこうした飲み物を便宜上「ココア」と呼びます。)


 

カカオ=富と権力の象徴・王宮文化へ

その後、このココアはスペインやポルトガルの宮廷において富と権力の象徴として扱われるものとなり、砂糖とともに王侯や貴族たちの間に急速に広まっていきました。

やがて17世紀に入ると、スペインからフランスへ嫁いだ王女がココアを飲む習慣を宮廷に広めます。これにより今度は、フランスの貴族の女性たちの間で愛飲されるようになりました。

こうした背景からフランスの女性たちは、ココア用のポットやカップに凝るようになっていきます。陶磁器で作られた専用のポットをショコラティエール、受け皿とカップをマンセリーナといい、様々な装飾を施した製品が誕生、使用されました。

こうして絢爛豪華なヨーロッパの宮廷において、美しい器を鑑賞しつつ、貴重なココアと砂糖を堪能する贅沢なココア文化が花開いていきます。

 

市民への広がりとカカオ産業の誕生

17世紀後半になると、フランス国内のカカオ取引や販売の規制が緩和され、輸入されるカカオの関税も引き下げられました。それまでは王侯や貴族たちが独占的に楽しんでいたココアですが、いよいよ市民層にも本格的に普及する時代が訪れます。

18世紀初頭のパリではココアが大人気となり、「飲み物の女王」「神々の飲み物」といわれもてはやされます。

また、こうしたカカオの需要の高まりと共に、カカオ豆をすり潰すことを専門の業とする職人も現れました。やがて、カカオ加工業者のギルドも結成され、カカオ加工業は一つの産業として発展していくこととなります。

 

■Lesson3-2 まとめ■

  • スペインのアステカ帝国征服によりスペイン人がカカオに出会い、チョコレートの大きな発展が始まった。
  • スペインの支配のカカオの大量生産と、同時期に始まったカリブ海沿岸の奴隷を使ったサトウキビのプランテーションにより、カカオに砂糖やバニラやスパイスを加えたおいしいカカオ飲料がカトリック諸国の宮廷へと広まった。
  • ココアはスペインやポルトガルの宮廷において、富と権力の象徴として扱われるものとなり、スペインからフランスに嫁いだ王女によりフランス貴族の間でも愛飲されることなる。
  • ココア用のポットやカップも繊細な装飾がなされ、陶磁器で作られた専用のポット「ショコラティエール」や受け皿とカップ「マンセリーナ」、また銀製のチョコレートポッドなど、様々なものが使用された。
  • 17世紀後半になると市民へも広がり人気を博すとともに、カカオ産業も発展していく。