チョコレートコラム5・青い色のキットカット

1935年9月、「チョコレート・クリスプ(Chocolate crisp)」というウェハースをチョコレートで包んだお菓子が、イギリスのロウントリー社から発売されました。クリスプというのは、「サクサク」という意味で、ウェハースのサクサク感をアピールした名前でした。このウェハースが多層になっている形状は、今日でも変わっていません。

あの赤いパッケージがトレードマークの「キット・カット」の誕生です。

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日本では、大きさも味も様々なものが販売されています。ご当地バージョンなどもあり、外国の方がお土産として購入することも多いようです。

「キット・カット」という語呂は、日本人の耳にもなじみやすいものですが、「チョコレート・クリスプ」という名前からこの「Kit Kat」という名前に代わった理由については、実は謎に包まれておりよくわかっていません。誰が、どのような理由で命名したのかについては、都市伝説の域を出ていないのです。

キットカットの由来

最も有力な説は、ロンドンにあった「Kit Cat Club」というホイッグ党支持者のたまり場となっていたお店があり、その名前に由来するというものです。ホイッグ党は、19世紀に発展的に解消して自由党となりましたが、ロウントリー家をはじめとするクエーカー教徒たちは、この支持者でした。ゆえに、この「Kit Cat Club」にちなむ命名であるというわけです。

キットカット誕生の2年後の1937年には「キットカット・チョコレート・クリスプ」という名前になったようですが、「キットカット」という名前が一人で歩いていたことはないようです。

さらにその2年後、1939年、ドイツがポーランドに侵攻したことによって第二次世界大戦が勃発します。全てのものが戦時体制にシフトされていく中で、特に食料に関しては厳しい統制が行われていきました。砂糖やカカオといった海外からの輸入に依存している原料を使うチョコレートは、どの会社でも大きな制約を受けることになります。

Everett Historical/Shutterstock.com

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ロウントリー社も、人気商品となっていた「キットカット・チョコレート・クリスプ」を統制品の一つとして申請しました。その際、特徴的だった赤いパッケージは青色に代わり、商品名も「キットカット」にする旨を同時に申請しました。

Because no milk can be obtained for chocolate manufacture, the Chocolate Crisp you knew in peace-time can be longer be made. Kit Kat is the nearest possible product at the present time.

チョコレート製造に使うミルクを十分に入手することが不可能なので、平和な時代に召し上がっていただいたチョコレート・クリスプは現在、作ることができません。キットカットは現在調達が可能な材料で作ることができるもっとも近い味のものです。

こうした一文がパッケージに印刷され、ここに初めて「キットカット」が単独で用いられることになります。つまり、「平和な時代のチョコレート・クリスプ」ではありません、という意味がこめられていたわけです。

キットカットは、こうして戦時中のカロリー補給食品として生き残ることになります。

戦後のキットカット

やがて戦争が終わり、キットカットは再び赤いパッケージとなりました。

平和な時代の原材料を取り戻したキットカットは、再び「チョコレート・クリスプ」と併記されるようになりましたが、チョコレートが食事の代わりに摂取する「カロリー補給食品」ではなく、「休憩時間(いわゆる「Have a break」)」に食べる食品へと変化していく過程で、単独の「キットカット」という名前になりました。

日本でも、昭和の後半にテレビCMからヒット商品となります。イギリスのバッキンガム宮殿の衛兵をクローズアップしたCMを覚えている方もいらっしゃるでしょうか。ロウントリー社は同じイギリスのチョコレート会社マッキントッシュ社を合併して、ロウントリー・マッキントッシュ社となります。やがて1960年代に入り、チョコレート業界の国際的な変動期にロウントリー・マッキントッシュ社は、ネスレ社に買収され、90年の幕を閉じました

現在、日本でのキットカットのブランド・ライセンス権はネスレ社が所有し、「ご当地バージョン」を含めたさまざまなテイストのキットカットが展開されています。